「郡」周辺の今昔あれこれ
より大きな地図でを表示 ◆岡山市郡のルーツをたどる 岡山市郡のルーツをたどりますと、明治22年、郡村、北浦村、飽浦村、宮浦村の4村が合併して児島郡甲浦村になり、昭和27年4月、昭和の大合併により岡山市に編入され、甲浦学区の一角を担って今日に至っています。 ◆歴史とどめる児島支所の建物 岡山市南区役所児島地域センター(岡山市南区北浦)は、昭和初期に児島郡甲浦村役場として建築されました。岡山市合併に伴い児島支所から児島出張所となり、平成16年4月に児島支所に格上げになりました。現在も昔の姿をそのままにとどめ、甲浦学区に残る唯一の歴史的建造物です。 しかし、ピンク色に塗り替えられた外壁は違和感があります。 ◆昔は海上交通が大きな役割 戦後、陸上交通機関に恵まれない甲浦学区では、内海航路をはじめとする海運が大きな役割を果たしていました。 宮浦に寄港し岡山市京橋に至る「初丸」(南備海運)や「出崎丸」、さらに飽浦・三蟠、北浦・福島、郡・福島をそれぞれ結ぶ渡船もあり、こうした海上交通路は、岡山市街地と甲浦学区のある児島半島東部を結ぶ重要な交通手段でした。 ◆昭和34年に淡水化児島湖誕生 児島湾締切堤防の計画は、農業用水の確保、宇野線の短絡鉄道、岡山・宇野短絡道路を当初の目的としていましたが、 鉄道、道路の計画は取りやめとなり、土地改良事業として農林省が延長1,558m、幅30mにわたり昭和26年着工、昭和31年に潮止め、昭和34年に完成し、淡水化の児島湖が誕生しました。 ◆堤防中央に昭和天皇の御製碑 昭和31年4月10日、昭和天皇、皇后両陛下が締切堤防工事現場をご視察されました。昭和天皇が締切堤防工事現場行幸啓の際に、その感興を歌われたものを記念して堤防中央に造られた石碑に「海原をせきし堤に 立ちて見れば 潮ならぬ海に かはりつつあり」の御製が刻まれています。 ◆堤防無料化と児島湾大橋で変貌 昭和34年に完成した児島湾締切堤防上の道路は農林省管轄で有料道路でしたが、長い間の運動の結果、昭和49年に無料化され、岡山・玉野間の短絡道路として活用されていました。大型車両の通行が禁止だったので、これに代わる道路として、児島湾大橋が昭和58年に完成し、通行量の増大などで甲浦学区は大きく変貌を遂げています。 ◆免許試験場跡地に息づく新しい街づくり 岡山県運転免許試験場の跡地とそれに隣接して開発されたのが岡山県住宅供給公社の分譲団地「グリーンテラス郡」と、両備不動産カンパニーの分譲団地「クリエイテイブタウン郡」です。いま新しい街づくりが息づいています。運転免許試験場は、昭和44年郡に開設されましたが、敷地の狭小、地域利便性の問題から、平成5年に御津町に運転免許センターが新設されたことに伴い廃止されました。 ◆スポーツと憩いの場「近隣公園」 ◆自然環境に恵まれ、安らぎとくつろぎの空間
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